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2010年4月27日

何が難関で、どう乗り越えたか

似鳥 昭雄

株式会社ニトリ代表取締役社長 似鳥 昭雄氏

 大学を卒業して就職したがうまく行かなくて、自分でやるしかないと腹をくくって「似鳥家具店」を創業したのが1967年。そこから始まって1972年まで家業の時代、73年から82年までは店づくり、拡大期に入って83年から92年までの10年間の人づくりの時代。さらに、93年から東証1部に上場する02年までの10年間、その後の03年から08年までは業容が拡大し競争時代となる。09年からは「ごりやく時代」とニトリの歩みを区切ってみると、それぞれの時代にさまざまな難関があり、それを独自の工夫で乗り切ってきた。


 67年に創業し、最初は売上も伸びず、利益も出ないために従業員も雇えなかった。まだ23歳だったが結婚を機に、妻が人当たりのうまさを発揮してくれて徐々に売れるようになった。それで72年に札幌市に2店目を開業したが、近くに店舗面積で5倍もある家具店が出店してきて、たちまち苦境に陥ってしまった。もう倒産するしかない、というときにどうせ潰すなら最後にアメリカでも見て来ようと思い立ったのが、今日のニトリを作るきっかけになった。


 アメリカに行ってみて衝撃を受けたのは生活の豊かさ。商品の価格は3分の1程度。日本と給与水準がほとんど同じだから、3倍も豊かな生活ができる。日本の消費者にもこういう生活を定着させたいというロマンを感じて、それには絶対にチェーンストアが必要だと思い帰国した。帰国したものの資金はない。店舗も建てられないので、エアドーム型の店舗を開店したりしたのもこの時期だ。低価格で品質のよい商品を売るためには、メーカーから買い付けるしかないと判断した。アメリカで日本の3分の1の価格で商品を売れるのは、流通業が実現したことである。つまり、流通がコントロールしてメーカーに作らせている。それに対して日本はメーカーや卸の支配が強く、流通業が上位に来ることはなかった。メーカーをコントロールするためには、たくさんの店で多くの商品を売るしかない。それがチェーン展開しようという発想につながったわけだ。


 しかしそう思っても、なかなか容易ではなかった。北海道で仕入れができず、新潟に行って買い付けたり、やがてそこでも買い付けができなくなり本州を南下し、九州のメーカーにまで行った。その頃、85年にプラザ合意があり1ドル120円になり、これはチャンスだと判断して台湾メーカーから仕入れるようになった。しかし、品質が悪く、消費者からはクレームが山のように来る。社員からは「もう海外製品は仕入れないでくれ」と泣きつかれたが、それでも海外から仕入れるしか競争に勝つ方法はない。その後は自社工場をインドネシア、ベトナムなどに建設し安価な労働力を生かして低価格で高品質の商品を生産するようになった。実はインドネシアの工場は、日本メーカーが撤退した設備を買収したが立地環境がいわくつきの物件。治安が悪く強盗も多い。ガードマンを雇ってもそのガードマンが泥棒だったりして、ガードマンを見張るガードマンを雇い、そのガードマンを見張るガードマンを雇わなければならないというお笑いのような環境。日本メーカーが撤退するわけだが、ニトリは意地でも撤退しなかった。インドネシアで暴動が起きて日本人が引き揚げたときでも、インドネシア工場の日本人スタッフは引き揚げなかった。

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